詩「おむつ」◆老いた父の大変さ

おむつ
      藤川幸之助
認知症の母が車の中でウンコをした
臭いが車に充満した
おむつからしみ出て
車のシートにウンコが染み込んだ
急いでトイレを探し男子トイレで
尻の始末(しまつ)をした

母を立たせたまま
おむつを替える
狭い便所の中で
母のスカートをおろす
まだ母は恥ずかしがる
「おとなしくしとかんとだめよ」
母のお尻をポンポンとたたいてみた
子供の頃のお返しのようで
少し嬉しくなった

母のお尻についたウンコを
ティッシュで何度も何度も拭いてやる
かぶれないように拭いてやる
母が私のウンコを拭いてくれたように
私は母で
母は私で

母の死を私のものとして見つめる
私の死を母のものとして見つめてみる
母と一緒に死を見つめてみる
狭い棺桶のような直方体の
白い便所の中で

鍵を開け母の手を引いて
便所から出る
そして
左手で母をつかまえたまま
私も便器に向かい
右の手で小便を済ませた
      詩集『マザー』(ポプラ社)

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おむつ
■鍵をかけた狭い男子トイレの中で、母を立たせたままおむつを替えていると、母が大声を出した。替えている側から、おしっこをした。うんこの付いたお尻を触ろうとした。仕舞にはしゃがんでおしめを替えている私の頭によだれが垂れてきた。「おれの母さんなんだろう!しっかりしろ!」とおしめを投げ出し、母をにらんだ。父が生きていたときは、母の介護を全て老いた父に任せっきりだった。やっと父の大変さが実感できた時だった。
©Konosuke Fujikawa【詩・絵*藤川幸之助】
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詩「扉」◆むき出しの母の心


   藤川幸之助
認知症の母を
老人ホームに入れた。

認知症の老人たちの中で
静かに座って私を見つめる母が
涙の向こう側にぼんやり見えた。
私が帰ろうとすると
何も分かるはずもない母が
私の手をぎゅっとつかんだ。
そしてどこまでもどこまでも
私の後をついてきた。

私がホームから帰ってしまうと
私が出ていった重い扉の前に
母はぴったりとくっついて
ずっとその扉を見つめているんだと聞いた。

それでも
母を老人ホームに入れたまま
私は帰る。
母にとっては重い重い扉を
私はひょいと開けて
また今日も帰る。
詩集『マザー』ポプラ社より

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扉寒色 (1)
■私が施設を去った後、私が出て行った扉の前を母は離れようとせず、時には二時間もそこに立っていると施設の人に聞いた。認知症が進んで母は何も分かっちゃいないと思っていたからこそ、何か安心していたところが私にはあったが、この話を聞いてからこの扉は言葉を失った母のむき出しの心に見えるようになった。本当は私にとっても「重い重い扉」になったのだ。
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詩「手帳」◆哀しい笑顔

「手帳」
        藤川幸之助
母が決して誰にも見せなかった
黒い鉛筆付きの手帳がある。
いつもバッグの底深く沈め
寝るときは枕元に置き
見張るように母は寝た。
その手帳が
今私の手の上に乗っている。

父の名前、兄の名前、私の名前。
手帳には、びっしりと
忘れてはならぬ名前が書いてある。
そして、手帳の最後には
自分自身の名前が、ふりがなを付けて
どの名前よりも大きく書いてあり
その名前の上には、何度も鉛筆でなぞった跡。
母は何度も何度も
自分の名前を覚え直しながら
これが本当に自分の名前なんだろうかと
薄れゆく自分の記憶に
ほとほといやになっていたに違いない。
母の名前の下には
鉛筆を拳(こぶし)で握って押しつけなければ
付かないような黒点が
二・三枚下の紙も凹ませるくらい
くっきりと残っている。


父・母・兄・私の四人で話をしていたとき
母は自分の話ばかりをした。
母は同じことばかりを繰り返し言った。
「同じ話ばかりするのは、やめてくれ」
と、私は母をにらみつけた。
病気とも知らず。
話について行けない母は
その場からいつの間にかいなくなっていた。

あまりに帰らないので
探しに行くと
三面鏡の前に母はいた。
自分の呼び名である「お母さん」を
何度も何度も何度も唱えていた。
記憶の中から消え去ろうとしている
自分の連れ合いの名前や
息子の名前を何度も唱え
必死に覚え直していた。
振り返った母の手には
手帳が乗っていた。
私に気づくと、母は
慌(あわ)ててカバンの中に
その手帳を押し込んだ。
その悲しい手帳が
今私の手の上に乗っている。
 『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)に関連文
©Konosuke Fujikawa【詩・絵*藤川幸之助】

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手帳絵
◆父、母、兄、私の家族団らんの中で、母が自分の話ばかりをしていたのは、父と兄、私で話している内容が認知症になった母には全く分からないので、その家族の団らんの中に入るためには自分の話を切り出すしかなかったからなのだ。同じ話ばかり母がくり返し話したのも、認知症になって覚えている話が1つか2つだったからなのだ。父と兄、私で面白い話で大笑いしている時、話の内容が分からないのに、面白いかどうかも分からないのに、家族団らんの中に入らんがために一緒になって笑っていた母の哀しい笑顔を思い出す。
©Konosuke Fujikawa

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詩「母の日記」◆あの子は優しい子

「母の日記」
       藤川幸之助
 認知症が進む中でも、
 母は日記を書き続けていた。
 日記は、毎日同じ文面で始まり、
 幾行かの出来事が書いてあって、
 毎日同じ文面で終わっていた。
 時には前の日の日記を
 そのまま写しているときもあった。

 「知っているんだけど」と前置きしながら、
 簡単な字を何度も何度も聞く母。
 優しく教える父。
 私が日記をのぞくと
 母は怒ったように
 書くのをやめてしまっていた。

 日がたつにつれて、
 字のふるえがひどくなり、
 誤字や脱字が目立ち、
 意味不明の文が増えていく。

 もう日記なんて書かなくなった母。
 私はそんな母の日記をくりながら、
 自分の名前の書いてある箇所だけを探す。
 どんなにか母に心配をかけてたことにも、
 ひどく母と言い争ったときにも、
 私の部分には、
 「あの子はやさしい子だから」と
 書き添えてある。
 いつか私が母の日記を読む日が
 来るのを知っていたかのように
 「あの子はやさしい子だから大丈夫」と
 必ず書き添えてある。
  『ライスカレーと母と海』(ポプラ社)を加筆訂正
©Konosuke Fujikawa【詩・写真*藤川幸之助】
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◆十数冊の日記が私の手元に残っている。認知症と診断されるずっと前から母が書き綴ったものだ。「あの子はやさしい子だから大丈夫」という言葉は過去に母が書いた言葉だが、思い出すたび遠く未来の彼方から私を導くように心に響く。「しっかり自分の人生を歩め」と。
母の日記写真

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詩「約束」◆ライスカレー

「約束」            藤川幸之助

今度帰るときには
ライスカレーを作っておくからと
嬉しそうに母は約束した。
久しぶりに実家に帰ってみると
約束通りライスカレーが
テーブルの上においてあった。
食べると母の味つけではない。
レトルトのカレーとハンバーグを
皿に盛りつけただけのものだと
すぐに分かった。
「お母さんのカレーはうまか」
大げさに父は言っている。
「これ母さんレトルトだろ?」
私は不機嫌に言った。
「二つとも時間をかけて作ったんよ」
母は言い張った。
「ちがうよこれは母さんのカレーじゃないよ」
「お母さんのカレーはうまか」
母の方を向いて大声でまた父が言ったので
私も意地になって言い返えそうとした時
「お母さんのカレーはうまか」
父が私をにらみつけて言った。

母が風呂に入って
父と二人っきりになった。
料理の作り方を忘れてしまって
自分から作ろうとはしない母の話を聞いた。
母が私とのライスカレーの約束の話を
父に何度も何度も話すのだそうだ。
母に代わって私のためにレトルトのカレーを
父が用意してくれていた。
「お父さんにしては盛りつけが上手」
私は父にお世辞を言った。
父は嬉しそうに笑った。
©Konosuke Fujikawa【詩・絵*藤川幸之助】

ライスカレー
◆「お前は幸せ者だなあ。」と父はよく言っていた。私が帰省するとなると、認知症の母が人参とジャガイモを両手でにぎりしめて、「幸之助にライスカレーを」と台所をうろうろ始めるのだそうだ。「認知症になってもお母さんはお前の好物のカレーのことは忘れてないぞ。お前を愛する心はまだお母さんの心の中に生きとるぞ。」と父はいつも嬉しそうに言っていた。認知症なっても忘れ去ることのできないものがあり、認知症でも消し去ることのできないものがあることを知った。今日はそのライスカレーの詩「約束」を。
©Konosuke Fujikawa【詩・絵*藤川幸之助】

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