【詩「花見」◆実家の親】

花見    
        藤川幸之助
たこ焼きとカンのお茶を買って
父と母と三人で花見をした
弁当屋から料理を買ってきて
花見をやればよかったねと言うと
弁当は食い飽きてね
と父が言い返した
母が認知症になり料理を作らなくなって
毎日毎日、弁当屋に行くのだそうだ
弁当屋の小さなテーブルで
毎日毎日、二人で並んで弁当を食べるのだそうだ
あの二人は仲のよかね
と病院中で評判になっているんだと
父は嬉しそうに話した

この歳になっても
誉められるのは嬉しかね
何もいらん
何もいらん
花のきれかね
よか春ね
母に言葉がいらなくなったように
父にも物や余分な飾りは
いらなくなってしまった

今年もカンのお茶とたこ焼きを買って
母と二人で花見をした
花のきれかね
よか春ね
と父の口真似をして言ってみる
独り言を言ってみる

   『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版刊)

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花見

■久しぶり実家に帰って、父からこの弁当屋での話を聞いたとき、私は父の前で涙を流してしまった。弁当屋の小さなテーブルに向かい合って座る認知症の母と老いた父の姿を、頭の中で想像するだけで、今も心の奥が強く締め付けられる。父は心臓病を患っていたが弱音を吐かなかった。私に手を貸せと一言も言わなかった。「お母さんは俺が大切にする」父の口癖だった。
©Konosuke Fujikawa【詩・絵*藤川幸之助】
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詩「布切れ」◆大阪市淀川区講演

◆今日の詩は詩「布切れ」です。◆8月29日(木)大阪市淀川区民センターで講演をします。お近くの方は是非聞きに来られてください。
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布切れ
  藤川幸之助
ビールを買って車に戻ってみたら
母はいなかった。
酒屋の人も一緒になって探してくれた。
見知らぬ人も一緒になって
自分のお母さんでもないのに
みんな大声で「お母さん」と叫びながら。
母は酒屋の裏の
ビールの空き瓶の山の向こう側に
隠れるように座っていた。

その夜父は母をきつくしかりつけた。
母は困った顔をした。
私は優しく抱きしめた。
母は安堵した顔をした。
と すぐにうろうろと
またどこへともなく歩きだす。
「こんな夜中母さんどこへ行くんだ」
私が母をつかまえると
父は母のはいていたズボンをサッと脱がし
名前と住所と電話番号を書いた布切れを
手際よく縫いつけはじめた。
母はそれでもどこかへ行こうとする。
「母さんそんな格好でどこへ行くつもりだ」
大きなオムツ丸出しの
アヒルのような母をつかまえて私は笑った。
母もいっしょに笑っていた。

どこへも行かないようにと
布切れを縫いつけた父は死に
どこか遠いところへ行ってしまったけれど
母は歩けなくなった今も
その布切れのついたズボンをはいて
ベッドに横になって私の側にいる。
 『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版刊)  

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散文詩「こんな所」

◆経験というトンネルをくぐることで、同じ月でも違って見えるものだと、今になって思います。今日は散文詩「こんな所」を。
トンネルの向こう側
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「こんな所」    藤川幸之助
 始終口を開けヨダレを垂れ流し、息子におしめを替えられる身体の動かない母親。大声を出して娘をしかりつけ拳で殴りつける呆けた父親。行く場所も帰る場所も忘れ去って延々と歩き続ける老女。鏡に向かって叫び続け、しまいには自分の顔におこりツバを吐きかける男。うろつき他人の病室に入り、しかられ子供のようにビクビクして、うなだれる女。
 父が入院して手に負えなくなり、初めて母を病院の隣の施設に連れて行った時、「こんな所」へ母を入れるのかと思った。そう思ってもどうしてやることもできず、母をおいて帰った。兄と私が帰ろうとするといっしょに帰るものだと思っていて、施設の人の静止を振り切って出口まで私たちといっしょに歩いた。施設の人の静止をどうしても振り切ろうとする母は数人の施設の人に連れて行かれ、私たち家族は別れた。こんな中で母は今日は眠ることができるのか。こんな中で母は大丈夫か。とめどなく涙が流れた。
 それから母にも私にも時は流れ、母は始終口を開けヨダレを垂れ流し、息子におしめを替えられ、大声を出し、行く場所も帰る場所も忘れ去って延々と歩き続け、鏡に向かって叫びはしなかったが、うろつき他人の病室に入り、しかられ子供のようにうなだれもした。「こんな所」と思った私も、同じ情景を母の中に見ながら「こんな母」なんて決して思わなくなった。「こんな所」を見ても今は決して奇妙には見えない、必死に生きる人の姿に見える。
※「ライスカレーと母と海」(ポプラ社)より

©Konosuke Fujikawa【詩・写真*藤川幸之助】
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詩「手ずから屋」◆長崎原爆の日

◆今日も長崎市では路面電車がチンチンと警笛をならし、ガタゴトと通りさっていきます。稲佐山からは美しい長崎の街並みが広がっています。1945年8月9日午前11時02分、長崎市へ原子爆弾が投下されました。今感じているこんな何の変哲もないけれど大切な日が、一瞬にして消え去りました。亡くなった方々の無念、家族を亡くされた方々の悲しさ、傷を負った方々の痛み、被爆しながら生き続ける方々の心の傷、今日はその一人ひとりの方々の命の重みを心に刻み、長崎から戦争のない「平和」を祈る日です。2019年08月09日11:02

手ずから屋
  藤川幸之助
手ずから屋という店がある。
店主が手ずから作った
小間物等を並べ売る小さな店だ。
ショーウィンドーには
それ越しの商品と重なって
私の姿が映っている。
私の後ろには長崎の街並みが
一番奥には稲佐山が
この街を見下ろしている。

おーい!どうだ。
活気ある美しい街だろう。
一瞬にして
七万四千人が亡くなり
焼け野原になった
あの日あの時から七十数年間
一人一人が命をつなぎ
手ずから作ってきた街並みだ。
忘れられないことは
少しずつ涙でとかし
忘れてはならいないことは
手ずから心に刻んできた。

店の一番奥には
八十ばかりの店主がいて
その一つ手前に「平和」と
書いた色紙が飾ってあった。
「これ、ください。」と手に取ると
「私たちが手ずから作ってきた
 大切なもんやけん
 譲ることはできんとばい。」
と、店主は微笑んで断ったのだ。

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詩「バス停のイス」◆人を支える

バス停のイス
藤川幸之助

バス停にほったらかしの
雨ざらしのあの木のイス。
今にもバラバラに
ほどけてしまいそうな
あのイス。

バスを待つ人を座らせ
歩き疲れた老人を憩(いこ)わせ
バスに乗らない若者の談笑につきあい
時にはじゃま者扱いされ
けっとばされ
毎日のように
学校帰りの子どもを楽しませる。

支える。
支える。
崩(くず)れていく自分を
必死に支えながらも
人を支え続け
「それが私なんだもの」とつぶやく。

そのイスに座り
そのつぶやきが聞こえた日は
どれだけ人を愛したかを
一日の終わり静かに考える。
少しばかり木のイスの余韻(よいん)を
尻のあたりに感じながら
〈愛〉の形について考える。
©Konosuke Fujikawa
『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)
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言葉8
■自分の意に染まない状況になると、全く受け入れることなしに、そこから逃げることばかり考えた。母の介護をすることになったときも、そうだった。何で私ばかりこんな役が回ってくるのかと、いつも悶々としていた。この詩は、そんな時に、バスの中から見た光景。壊れかけたイス数脚。それに腰掛け、数人の若者が談笑していた。イスは、人を腰掛けさせ、人を支えるためだけに生まれてくる。もしも、私がイスに生まれていたら、「それが私なんだもの」と言えるはずもなく、いつも恨み言ばかりだろうなあと思った。しかし、逃げようともがきながらも、認知症の母の世話をしているうちに、私の人生から「人を支えること」を差し引いたら、何も残らないと思った。この詩を書くことでさえ、人を支えるときがあるではないか。イスだけではなく、人もまた人を支えるために生まれ、人と関わり、人を支え、つながることで、人は人となり得ていくのだ。イスを見て、いつもその思いを確かめる。
©Konosuke Fujikawa【詩・文*藤川幸之助】
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