静かな長い夜
藤川幸之助
母に優しい言葉をかけても
ありがとうとも言わない。
ましてやいい息子だと
誰かに自慢するわけでもなく
ただにこりともしないで私を見つめる。
二時間もかかる母の食事に
苛立つ私を尻目に
母は静かに宙を見つめ
ゆっくりと食事をする。
「本当はこんなことしてる間に
仕事したいんだよ」
母のウンコの臭いに
うんざりしている私の顔を
母は静かに見つめている。
「こんな臭いをなんで
おれがかがなくちゃなんないんだ」
「お母さんはよく分かっているんだよ」
と他人は言うけれど
何にも分かっちゃいないと思う。
*
夜、母から離れて独りぼっちになる。
私は母という凪いだ海に映る自分の姿を
じっと見つめる。
人の目がなかったら
私はこんなに親身になって
母の世話をするのだろうか?
せめて私が母の側にいることを
母に分かっていてもらいたいと
ひたすら願う静かな長い夜が私にはある。
『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)
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■認知症の母を前に、私はいつもじたばたした。そんな私を、母は海のように静かに見つめていた。そんな母の瞳を見ると、いつも「海容」という言葉を思い出した。海のような広い心を以て、人を許すこと。広く物を容れる海の様子からできた言葉。許し合うことで、人は一つの海になっていくのかもしれない。海に真っ青な空がくっきりと映り、海と空とが一つに解け合う姿が目に浮かぶ。海容の「容」という字には、「受け入れる」という意味もあるらしい。母という海は、認知症という病気を受け入れ、できの悪い息子を受け入れて、その生の青さを深くしていった。
©Konosuke Fujikawa【詩・写真*藤川幸之助】
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