k-fujikawa の紹介

詩人、児童文学作家。認知症の母の世界を描いて、十数年。介護も終わり、そろそろ時々つぶやいてみようかと。命や認知症について全国各地で講演中。著作に『マザー』『君を失って、言葉が生まれた』(ポプラ社)、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)、『やわらかな まっすぐ』(PHP出版)等。

詩「俯瞰」◆「わたし大賞」募集

◆一年を一生に喩えるなら、春に生まれ・育ち、夏に励み・働き、秋に振り返り・記し、冬には終わりに向かい、命をつなぐ、という感じでしょうか。秋には特に多くの詩が私の頭の中に浮かぶのはこのせいのような気もします。秋になってもこの夏の暑さは、まだまだしっかりと励み・働けと言われてるようでもあります。◆さて、今年も私が選定員をしている三井住友信託銀行主催の「わたし大賞」の募集がはじまりました。心を動かした人・モノ・コトとのエピソードを書き、賞状を贈るというもの。この秋に人生を振り返りながら書かれてみてはいかがでしょうか。◆募集要項の私のプロフィールにも書いていますが、「忘れられないあの思い出は、今の自分の人生をどのように照らしているか。今ここに命のあることの喜びと幸せを、人のつながりの豊かさと生きることのすばらしさを、作品を通して今年も深く感じさせていただきたいと思っています。」ご応募お待ちしています。◆今日は詩「俯瞰」。

三井住友信託銀行主催の「わたし大賞」の募集詳細は以下
https://www.smtb.jp/personal/blind/watashi-taishou

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俯瞰
  藤川幸之助
母がなくなって
行かなくなった場所がある
母がなくなって
通らなくなった道がある
母がいなくなって
会わなくなった人たちがいる
母がなくなって
歌わなくなった歌もある

そして、母がいなくなって
毎日上るようになった坂もあって
上って見下ろすと
私の住むところも
母の入院していた病院も
すっかり俯瞰できるのだ

母が認知症になって
あんなに小さな箱と箱の間を
何度行ったり来たりしたことか
あんなに小さな箱の中の
小粒ほどの私の中の心の中に
いろんな思いを抱えて
いく筋もの感情が吹き出して
悩み、苛立ち、落ち込み、
泣いて、時にはホッとして

「俯瞰」という言葉を
教えてくれたのも母だった
鳥のように高いところから見ると
見えないものもしっかりと見えるのよと
今日も丘に上り見下ろす
この私よりもっと高くに上って
母さん、何が見えますか?
どんなことが分かりますか?

©FUJIKAWA Konosuke
詩集【支える側が支えられ 生かされていく】より

みなさま、宜しければ「シェア」をお願いします。
多くの方々に詩を読んでいただければと思っています。

◆自選・藤川幸之助詩集
 【支える側が支えられ 生かされていく】
 詳細は◆https://amzn.to/2TFsqRT
・———・———・◆・———・———・
◆エッセイ集
「母はもう春を理解できない
 ~認知症という旅の物語~」
https://amzn.to/3o7ASX8

葡萄と俳句◆詩「袋」

◆「一つもぎ 一つ先見ゆ 葡萄かな 幸之助」これは、葡萄を送ってくれた叔母へのお礼の葉書に書いた俳句だ。左手でつまんで目の前にぶら下げ、右手でもいで食べていると、葡萄の向こう側が少しずつ見えてくる。◆もう、この私は葡萄を三分の二ほど食べた頃か。SNSで文を書かないと死んでいるのではないかと問い合わせがくるようになった。だから、今日は少々焦っての投稿になった。◆今日は詩「袋」を。
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  藤川幸之助
母が入院したときに買った袋
その場しのぎで二百円で買ったが
母が亡くなるまで十六年も使った
母はよく高熱を出し
年に二、三度は入院した
その度ごとに今度だけでも
どうにか乗り越えてくれと祈り
取る物も取り敢えず
この袋に詰め込んで病院へ駆けつけた

母を認知症の施設に入れた時も
母の名をマジックで書き入れた
下着やパジャマ
タオルや日用品を詰め込んで
この袋を右手にもち
左手で母の手を握って
施設の門をくぐった
母は汗かきで
毎日のように洗濯物を持って帰り
洗ってたたんで入れてまた運んだ
母はベッドに寝て
夕刻私がこの袋を運ぶまで
じっと天井を見つめていると聞いた

いつの頃からか私は母を
「お袋」と呼んでいたが
この「袋」は子宮のことらしい
母が死んで病院から
母の物を持ち帰ったのも
この袋だった
入っていたこの私を独り残して
空っぽになった袋が
今は入れる物もなくじっとしている

©FUJIKAWA Konosuke
詩集【支える側が支えられ 生かされていく】より
みなさま、宜しければ「シェア」をお願いします。
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詩「領収書」◆第25回認知症ケア学会・特別講演5

◆6月15日(土)、16日(日)に東京国際フォーラムで「第25回認知症ケア学会大会」が開催されます。私は大会の「特別講演5」で、6月16日(日)10時30分〜12時【第1会場・ホールA 】「認知症の人と「この今」を生きる;その存在に耳をすますということ」という演題で詩の朗読を交えながら講演をします。この【ホールA】というのが5,012席の大ホールで私には少々荷が重いのですが、心を込めてお話しをさせていただきます。是非聞きに来られてください。
https://ninchisyoucare.com/taikai/25kai/index.html
◆今日の詩は「領収書」。母の介護半ばになくなった父は、紫陽花の季節が大好きだった。心臓の病を患っていた父は、「おれの最後の大切な仕事だ」と言って、命がけで母の介護をした。母を支えたのは父だったけれど、父もまた認知症の母に生き甲斐を与えられ、母に生かされていたようにも思うのだ。◆詩人の谷川俊太郎さんは、この詩について「僕は「誠実なる生活」とお父様がノートに書いていたっていうエピソードに感動しました。(中略)他者の存在によって自分が変わっていくということは、すごく素敵なことです。」*1と、2008年の私との対談で語った。*1『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)
IMGP7250-18のコピー
領収証
    藤川幸之助
父は
おしめ一つ買うにも
弁当を二つ買うにも
領収証をもらった
そして
帰ってからノートに明細を書いた
「二人でためたお金だもの
 母さんが理解できなくても
 母さんに見せないといけないから」
と領収証をノートの終わりに貼る父
そのノートの始まりには
墨で「誠実なる生活」と父は書いていた

私も領収証をもらう
そして母のノートの終わりに貼る
母には理解できないだろうけれど
母へ見せるために
死んでしまったけれど
父へ見せるために
アルツハイマーの薬ができたら
母に飲ませるんだと
父が誠実な生活をして
貯めたわずかばかりのお金を
母の代わりに預かる
母が死んで
父に出会ったとき
「二人のお金はこんな風に使いましたよ」
と母がきちんと言えるように
領収証を切ってもらう

私はノートの始めに
「母を幸せにするために」
と書いている
  
『支える側が支えられ
   生かされていく』致知出版より
◆みなさま、宜しければ「シェア」をしていただければ幸甚です。
©FUJIKAWA Konosuke
【詩・文・写真】藤川幸之助
#藤川幸之助 #認知症ケア学会

詩「まだまだ」◆6月6日(木)NHK・FM・R1「ラジオ深夜便」出演

◆NHK・FMとラジオ第1の「NHK ラジオ深夜便アーカイブス」(6月6日(木)午前1:05〜午前2:00)で「認知症と向き合う」詩人・児童文学作家  藤川幸之助が再放送されます。ロングインタビューです。是非お聞きください!  https://www.nhk.jp/p/shinyabin/rs/V34XVV71R2/blog/bl/p6qdzjPqr1/bp/pKy1ZVOrOK/
◆お聞き逃しの方は以下の「NHK らじる★らじる」で聞くことができます。「NHK らじる★らじる」は6月5日(水)放送分(水曜日放送分)で聴けます。 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/corners.html?p=0324
◆今日は詩「まだまだ」。母が認知症になって二十年以上の間、母と言葉を通して意思疎通をしたことがなかった。言葉という意味の中で、私たちはつながって生きているのではないと思った。存在と存在の間で、そのつながりを深く感じながら、自らに生きる意味を問い続けていく。それが生きていることではないかと感じていた。言葉なんかなくても、人は深くつながることができると思うようにもなったが、言葉で自分の思いを伝える仕事をしながら、これはいかがなものかとも思う。
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まだまだ

               藤川幸之助

母の心臓はもう限界で
いつ止まってもおかしくない状態だ
と、医師から説明を受けた
ここまで母はがんばりましたから
もうゆっくりさせてあげたい
と、私は答えた
そう言ったのに、病室にもどると
「母さんもう精一杯か?
 もう少しがんばってくれんね?」
と、母の耳元で言っている
私の涙が母のおでこを静かに伝って
タオルにしみこんでいった
母の隣に座ってリンゴをむいた
皮がむかれたリンゴは
言葉をなくした母のように静かだった
認知症で言葉を失って二十年
私が言葉で問いかけ
いつも言葉ではないもので母は答えた
まだまだ
まだまだまだだ
まだまだ生きていてくれ
何度も何度も心の中で繰り返しているうち
母のいない明日から届く
母からの答えのように響く
「お前はすぐくじけるんだから
 まだまだ
 まだまだまだだ」
と許してくれなかった母の厳しい目を
鏡の中の自分自身の顔の中に見つける
『支える側が支えられ
   生かされていく』致知出版より
みなさま、宜しければ「シェア」をしていただければ幸甚です。
©FUJIKAWA Konosuke
【詩・文】藤川幸之助

詩「花見」◆5月11日(土)旭川市・500回目講演会

◆今年は大牟田市、南足柄市、前橋市と講演をして、コロナで時間はかかったが次の講演で500回目の講演になる。約20年間で日本の全ての都道府県で講演をした。中国の上海にも講演に出かけた。◆以下は何だと思われるだろうか?札幌、旭川、大空町、訓子府町、置戸町、函館市、佐呂間町、津別町、千歳市、釧路市、新ひだか町、帯広市、幕別町、江別市、苫小牧市、江差町、厚真町、弟子屈町、網走市、恵庭市、音更町、清水町、池田町、芽室町、新得町、名寄市、北見市、栗山町、豊浦町、当別町、美瑛町。◆講演で伺った北海道の全ての市と町だ。幾度か同じ場所に呼んでいただいてもいるので、5月11日(土)の旭川市で50回目の北海道での講演になる。地元の長崎に次ぐ回数だ。◆幾度白雪の上で滑ったことか。とても深い人とのつながりや人の温みを感じた。自然の豊かさ、鮮やかな色、爽やかな風、一つ一つを振り返ると、北海道は忘れていた大切なことをゆっくりと私に思い出させてくれた場所のように感じる。道北ではそろそろ桜が満開ではないだろうか。◆今日は詩「花見」を。旭川市の皆さん5月11日(土)に講演にまた伺います。是非ご来場ください。
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「花見」
     藤川幸之助

たこ焼きとカンのお茶を買って
父と母と三人で花見をした

弁当屋から料理を買ってきて
花見をやればよかったねと言うと
弁当は食い飽きてね
と父が言った
母が認知症になり料理を作らなくなって
毎日のように弁当屋に行くのだそうだ
弁当屋の小さなテーブルで
二人で並んで弁当を食べるのだそうだ
あの二人は仲のよかね
と病院中で評判になっているんだと
父は嬉しそうに話した

この歳になっても
誉められるのは嬉しかね
何もいらん
何もいらん
花のきれかね
よか春ね
母に言葉がいらなくなったように
父にも物や余分な飾りは
いらなくなってしまった

今年もカンのお茶とたこ焼きを買って
母と二人で花見をした
花のきれかね
よか春ね
と父の口真似をして言ってみる
独り言を言ってみる
  『支える側が支えられ
     生かされていく』致知出版より

◆日時:2024年5月11日(土) PM 5:00〜PM 7:00
◆場所:北海道旭川市・真宗大谷派 旭川別院大谷ホール2階
◆聴講料 500円 
 どなたでもご参加になれます
◆【講演】:詩人・藤川幸之助
 「支える側が支えられるとき」
◆お問い合わせ 
 旭川別院 電話 0166-22-2409

©FUJIKAWA Konosuke
【詩・文】藤川幸之助