k-fujikawa の紹介

詩人、児童文学作家。認知症の母の世界を描いて、十数年。介護も終わり、そろそろ時々つぶやいてみようかと。命や認知症について全国各地で講演中。著作に『マザー』『君を失って、言葉が生まれた』(ポプラ社)、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規)、『やわらかな まっすぐ』(PHP出版)等。

老いとは課題なのだ◆詩「最期の言葉」

◆京都で哲学者の鷲田清一さんと心理学者の小沢牧子さんと私とで、公開の鼎談をしたことがあった。その時の、鷲田さんの言葉。「年を取るということは、一人でできることがどんどん減り、自分ではどうにもならないものが増えてくるという感覚。老いの感覚は深く人間に問いかける。老いは問題ではなく、課題なのだ」と。◆母の病気を見つめ続けた二十数年間だった。アルツハイマーで母の脳は縮小していく、それにあわせるようにできることが減っていく。歩けなくなれば車いすを押し、排泄ができなくなればおしめを替え、母のできないことを私が代わって一つ一つやってきた。◆そんな中、「ああ大問題だ!」とばかりに混乱して、自分のことばかり考えてきた私のようなろくでもない人間が、母の痛みを自分のこととして感じるようになった。命とは何か、生きるとは何か、死とは何か、老いとは何か、母を通して考えた。老いた母が、言葉でではなくその存在から私に問いかけた。言葉のない母が私に問いを投げかけ続けた。課題ならば答えねばならぬようだ。今日は詩「最期の言葉」を。
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最期の言葉
                       藤川幸之助
母が認知症になって
肺炎はもう何度目だろうか
鼻から酸素吸入をして
左手には抗生剤の点滴をさして
顔を腫らして口を開けて母はもがいて
 
「きつかけど母さん頑張らんばね」
と、母の耳元で言ったけど
何を頑張れと私は母に言っているんだ
なぜ母は頑張らなければいけないんだ
死んだ方が楽ではないか
肺炎を何度も繰り返し
どうにか生き抜いてくれと祈り
何度も乗り越えてきただけの二十数年
葬儀屋の積み立てだけはしっかりたまった
 
ただただ母は生きながらえて
母は幸せだったのだろうか
せめて死ぬとき正気に戻り
「お前が側にいてくれて幸せだったよ」
と、母から言ってもらいたい
「心配かけた分、母さんおれは頑張ったぞ」と、母に伝えたい
 
母が認知症になって
もう何度目の夜だろうか
母の病室を出て暗い階段を下りるとき
「今日も母は生きていた」
と、フーッと大きな息を吐く。
©FUJIKAWA Konosuke

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若者に向けた詩◆詩「見えない矢印」

◆原稿の管理が悪い私にはよくあることだが、若い頃の原稿がごっそりと出てきた。三十数年前に書いた子ども向けの詩の原稿なのだが、どれもよく覚えていない。読み進めていくと自分なりに納得して書き上げたつもりなのだが、どれもこれも赤を入れたくなる。三十数年経ったからと言って、決して詩の腕は上がっているわけではないので、経験だけ重ねて小うるさくなっただけなのだろうか。◆今日の詩「見えない矢印」は、雑誌に掲載した記録が残っていた詩を推敲したもの。◆せっかくなので、しばらくは母の詩と2本立てで、若者達に向けた詩にもお付き合い願いたいと思っている。
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見えない矢印
   藤川幸之助

道路の上の大きな白い矢印。
これに沿っていけば
私は迷わずにあの場所にたどり着ける。

人の心の中にも
見えない矢印があって
それぞれの矢印が
ひとつひとつそろい大きな矢印になり
いつの間にか戦に向かったことがあった。
多くの命が戦の中で消えていった。

その矢印の指す遠く遠く
その先から吹く風の中に
微かな戦のざわめきが聞こえはしないか。
その矢印が自分の向きと
少し違いはじめたとき
それを拒むことができるか。
自分たちの幸せのために
向けられているその矢印が
他の人たちの幸せを
打ち砕いてはいないか。

これに沿っていけば
私は迷わずにあの場所にたどり着ける
のかもしれない。
しかし、矢印に迷わず向かわされ
心の中の見えない矢印が
見えはじめたとき
もう一度私は自らに問う
この矢印の向く先に
戦はないかと。

©FUJIKAWA Konosuke
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入れ替わる◆詩「この銀河の片隅で」

◆赤ん坊の私のオムツを、母もこんなふうに替えていたんだろうなあと、母のオムツを替えながらいつも思っていた。徘徊する母の手を引いて歩きながら、そういえば幼い私は人前に出ると決まって母の手を握って離さなかったなあと、思い出が頭をよぎった。◆何度も繰り返される訳の分からない母の話に私はいつもいつも苛立ったけれど、片言交じりの幼い私の話を母は頷きながら最後まで聞いてくれていた。私にはなかなかうまくできなかったけれど、母にしてもらったことを、お返しにやっていただけだったのだ。◆「介護」とか「認知症」と言うととても大げさに聞こえるが、年老いた母の側に育ててもらった息子が寄り添っているという、ただ至極当たり前のことなのである。◆今日は詩「この銀河の片隅で」を。
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この銀河の片隅で
  藤川幸之助
この宇宙の果て
この銀河の片隅のこの星の上のこの病院で
私は認知症の母の横に座っている
なんてこともない
どにでもあること
言葉なんてどこにもない
母の寝息とエアーマットに
空気を入れる機械音だけ
時々廊下を歩く人の足音が近づいては
遠ざかっていく
高熱で苦しむ母の声で
居眠りから目を覚まし
母の額の汗をぬぐう
ココニスワッテイルノハ
ワタシナノカ?ハハナノカ?
イツカラダロウ?イレカワッタノハ?
高熱で苦しみふと夜中目を覚ますと
母は幼い私を見つめて
私の頭のタオルを替えていた
言葉なんてどこにもない
私の片息と私の背中をさする
母の手の音だけ
時々遠くに犬の遠吠えが聞こえては
静寂の中にのみ込まれていく
この宇宙の果て
この銀河の片隅のこの星の上のこの国で
私はこの母の子として生まれた
なんてこともない
どこにでもあること
©FUJIKAWA Konosuke

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彼岸花の話◆詩「返す」

◆秋に咲く花には、ダリア、コスモス、菊、リンドウなど数多があるが、私は中でも彼岸花を写真に撮ることが多い。◆「彼岸」とは向こう岸に広がる生死を超越した悟りの世界のことだが、これに対して迷いと悩みの多いこちら側の現実世界のことを「此岸(しがん)」という。彼岸花とは、この現実世界に咲いたあの世の美しい花ということなのだろう。◆彼岸花をシビトバナと忌み嫌う人もいるが、私はこの花を見ると亡くなった人ばかりではなく、これまで出会いお世話になった人達のことを思い出す。◆あなたが私の中に咲いている。あなたが私となって咲いていると、どこか人のすっくと立つ姿に似た彼岸花を一本一本見つめながら、これまでこの此岸でこの私とつながりのあった人達のことを、この人達のお陰でやっとここまでたどり着けたと思い出すのだ。◆今日は、詩「返す」を。
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返す
  藤川幸之助
自分が死ぬわけでもないのに
何でこんなにつらいのだろうか
苦しそうな母を見ると
もう死なせてあげたいと思う
いやずっと生きていてほしいと願う
母の生を見守っていたいと思いながらも
母の死に目を背けたい気持ちになる
認知症になって二十四年
母さん本当のところを言うとおれも
もうすっかりくたびれ果てているんだ

どちらが母は楽でしょうかと聞くと
「どちらを選んでも同じです
 死ぬときは誰でも苦しむんです」
と、医師は答えた
「生まれてくるとき苦しんで
 泣き叫んで生まれてくるのと同じです」
と、医師は付け加えた
あの世との行き来は大変だ

難産だったらしく
私は驚くほど大きな泣き声で
生まれてきたと母から聞いたことがある
男である私には分かるはずもないが
母の産みの苦しみは計り知れない

この大きな大きな
宇宙の子宮の中から
さあ今度は私が母さんを
あの世へお返ししますよ
こちらも難産らしく
母は驚くほど大きな泣き声をあげる
男である私にも分かる
母を返す苦しみも計り知れない

©FUJIKAWA Konosuke
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詩「戦争」

◆今日は詩「戦争」を。
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戦争   
       藤川幸之助
先の戦争で
重爆撃機に乗っていた父が
「戦争に勝ち負けなどなく
戦争それ自体が負けなんだ」
と、自分が豆粒のように映る
学徒出陣のテレビ画面を
見つめてぽつりと言った

ひとつながりの
ひとつの海を違う岸辺から
見つめているだけだというのに
自分の体に線を引き
自分の右手で
自分の左足を痛めつけ
歩けなくなっていくというのに
目はじっとそれを見ている
自分の左手が
自分の右手を切り落とし
つかめなくなっているというのに
口は何も言わない

逃げ惑う人々
泣き叫ぶ子どもたち
破壊され続ける街
人知れず朽ち消えていく命
人類はまた
負けてしまった

「お母さんの命を必死に守るのは
あの戦争の償いでもあるんだ」
とでも言っているかのように
ただせっせせっせと
戦争で人を殺した同じ手で
毎日、認知症の母のおしめを替えて
小さな一つの命を必死に守り
小さなアパートで
父は生涯を終えた

©FUJIKAWA Konosuke

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